私が、初めての一人暮らしで、虫という存在の恐ろしさを骨の髄まで思い知らされたのは、大学一年生の夏のことでした。当時住んでいたのは、築40年の、木造の古いアパートの一階。今思えば、虫にとっては天国のような物件でした。最初の異変は、梅雨時に、浴室の壁に現れた、ハート型の小さな虫「チョウバエ」でした。最初は数匹だったのが、日を追うごとに増え、気づけば壁一面が黒い点々で埋め尽くされていました。原因が排水溝のヘドロだと知り、半泣きで掃除したのが、私の虫との戦いの序章でした。そして、夏本番。ついに、あの黒い悪魔「ゴキブリ」が姿を現したのです。深夜、コンビニから帰宅し、部屋の電気をつけた瞬間、キッチンの床を横切る黒い影。私は声にならない悲鳴を上げ、その日は友人の家に泊めてもらうしかありませんでした。その日から、私の生活は一変しました。夜、部屋に帰るのが怖い。電気をつけるのが怖い。常に何かの気配に怯え、安らかに眠れない。孤独なアパートの一室で、私は完全にノイローゼ気味になっていました。殺虫スプレーを常に枕元に置き、部屋の隅々には毒餌を設置。しかし、古いアパートは隙間だらけで、敵は次から次へと侵入してきます。最終的に、私が平和を取り戻すきっかけとなったのは、専門の駆除業者に頼んだこと…ではなく、アパートの契約更新のタイミングで、築浅の鉄筋コンクリートのマンションに引っ越したことでした。あの古いアパートは、私に自由と引き換えに、虫との終わらない戦いを教えてくれました。そして、住む場所を選ぶ際には、家賃や広さだけでなく、「虫が出にくい構造か」という視点が、心の平穏のために、いかに重要であるかを、身をもって学んだのです。