私が、あの小さな悪魔、チョウバエとの壮絶な戦いを繰り広げることになったのは、古いアパートの一階に引っ越してきて、初めての夏を迎えた時のことでした。最初は、浴室の壁に、ぽつんと一匹、黒いハート型の虫が止まっているだけでした。「なんだろう、この蛾みたいな虫は」。その程度の認識でした。しかし、数日後、その数は三匹になり、一週間後には、浴室の壁や天井が、黒い斑点で埋め尽くされるという、悪夢のような光景に変わっていました。夜、電気をつけると、数十匹のチョウバエが一斉に飛び立つ様は、ホラー映画そのものでした。私は、市販の殺虫スプレーを買い込み、毎日、浴室でスプレーを乱射しました。確かに、スプレーを浴びたチョウバエはポトポトと落ちていきます。しかし、翌日には、また同じ数のチョウバエが、何事もなかったかのように壁に止まっているのです。まるで、無限に湧き出てくるゾンビのようでした。精神的に追い詰められた私は、インターネットで駆除方法を徹底的に調べ、ようやく、戦うべき相手が、飛んでいる成虫ではなく、排水口の中にいる「幼虫」であるという事実にたどり着きました。私は、ゴム手袋をはめ、意を決して、浴室の排水口の蓋を開けました。そこに広がっていたのは、髪の毛と石鹸カスが混じり合った、黒くてぬるぬるのヘドロ。そして、そのヘドロの中で、無数の白いウジムシのようなもの(チョウバエの幼虫)が、うごめいていたのです。私は、悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえ、ブラシでそのヘドロを根こそぎ掻き出しました。そして、カビ取り剤とパイプクリーナーを大量に投入し、最後に、熱湯をやかんに何杯も流し込みました。その翌日から、あれほどしつこく現れていたチョウバエの数が、劇的に減りました。数日後には、一匹も見かけなくなったのです。あの時、排水口の蓋を開ける勇気を持てたこと。それが、私の勝因でした。
私がチョウバエ地獄から生還した話